2010/11/14

[RE-POST]八王子町娘

世の中でRe-TWEETが許されるならば、
過去のブログ記事の再投稿も許されよう。


ニューヨークに住んでいた頃、
とあるレコード会社の運営する音楽サイトにて、
NYの音楽事情に関するブログを書いていた。



書き綴った記事もサイトの閉鎖と共に消えてなくなった訳で。


折角なので、当時の錯乱具合を再確認してみよう、
という事で、不定期に[RE-POST]してみます。




2005 11/13
「八王子町娘」


今週末はユーミン祭り。
ユーミン尽くしのユーミン三昧。
「松任谷」は基本的に後夜祭という事にして、
「荒井」に焦点を当てる、
一大ユーミンスペクタクルだ。


ユーミンを甘く見ちゃいけない。
ド派手なコンサートをやるオバちゃんだとか、
春よ、来い来い言っている
冬真っ直中な人だなんて思っていたら
イタい目にあう。




2000年、20世紀の最後の年に
なかなか上がってこないテンションを引きずって、
僕は家に籠ってみてはひたすら数多くのレコードに耳を傾ける事に専念していた。
当時、バッファロー・スプリングフィールドやビーチボーイズに多大な影響を受けていた僕は、
そのうちはっぴいえんどを熱心に聴く様になって、
そこから派生して細野晴臣や大滝詠一に手を染める様になっていった。


特に細野晴臣の多才さ、多彩さ、多芸さの虜になった僕は
彼のレコードを片っ端から集めて、
1970年代のミュージシャン達の系譜を脳内絵図に描いていた。
細野晴臣や大滝詠一の周辺には、
山下達郎や矢野顕子、坂本龍一、大貫妙子といった人達がいて、
はっぴいえんどやティン・パン・アレーという、
当時全盛のえせフォークとは一線を画す、
日本のロックンロールをならしていた磁場に引き寄せられていた。
細野晴臣周辺の偉大な坊ちゃんお嬢ちゃん達の中に、
八王子からやって来たのが荒井由美嬢。


僕にとって、「荒井由美」と言えば、
それはすなわちセカンドアルバム「ミスリム」を意味する。
世代的に「松任谷由実」=ド派手なコンサートオバちゃん、
もしくは呉田軽穂というペンネームで
数々のヒット曲を当時のアイドルに書いていた作曲家、
というイメージしかなかった僕にとって
このアルバムは衝撃的だった。


年をとってからのユーミンの声を聴くと、
小学生の時にカラスに襲われ、
おぞましい鳴き声で威嚇された事を思い出しては
恐怖で震えが止まらなくなるのだけれど、
この「ミスリム」の時分の彼女の声は
まだ瑞々しさに溢れている。


音。
重く引きずる事の無い、
軽やかなサウンドスケープの先に広がる景色は、
もう既にアメリカ西海岸のそれではなく、
日本とアメリカ双方をしっかりと咀嚼した
ある意味非常に未来的な光景であって、
それは細野晴臣や松任谷正隆、シュガーベイブ、鈴木茂、矢野顕子ら
才能と力量のあるバックの支えによって描かれている。


曲。
メチャクチャいい。
この時のユーミン、実に二十歳。
歌詞はシンプルで多くを語らないものの、
一語一語に宿る言霊たるや、
筆舌に尽くしがたい。


特にアルバムの一曲「私のフランソワーズ」。
“レコードでしか聴いた事のない”
“写真でしか見た事のない”
フランソワーズを、
“私の”と言い切る。


ブラウン管の向こう側に映る、
ビデオの中でしか会う事の出来ないAV女優を
自分のものだと言い切るようなそのさまは、
もう既に妄想の神の域に達している。




2000年に聴いたこの「ミスリム」の衝撃は
宇多田ヒカルの「FIRST LOVE」の衝撃を凌駕して
1970年代が生み出したとてつもない才能と
その才能が他の才能と出会い、集い、歌い、
それら全ての連鎖が生み出した音と歴史が
今の時代にも色褪せないという奇跡とその軌跡に思いを馳せては
家に籠ったものである。




 

何かに追われると逃げたくなるのが人間の心理で、
この頃学校に通っていた僕は、
膨大な量の宿題から逃げてはこんな事を書いていた。


それにしても、ニューヨーク全く関係ないな。

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