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2011/10/13

FRAGRANT OLIVE

季節の変わり目。

秋の匂い。

Hennikerの想い出。


試合前の国歌斉唱。

終了5分前の大逆転。

寮の部屋からこぼれ出るweedの香り。

ポテトチップスの油でベタベタになったリビングの絨毯。

大雪で穴の開いた天井。

図書館に響くヘヴンリー・パンク・アダージョ。


秋になると

断片的な想い出に胸が締め付けられそうになるけれど

それが、金木犀の匂いのせいだと、最近になってようやく知った。






2011/07/02

AN ESSENTIAL OF THE WEEK: 002

「旅の途中」

10数年に渡る愛読誌であったSNOOZERが廃刊した。

ひとつの歴史に幕が下りた。


終刊号の表紙は、
期待を裏切らずにくるり。



初刊号から欠かす事なく読み続け、
音楽的な嗜好のみならず、
へそ曲がった己の人格形成にも多大な影響を与えたスヌーザー。

創刊期に現れた、97年世代と呼ばれたミュージシャン、バンド達。
中村一義、スーパーカー、number girl、wino、pre-schoolなど、
当時の代表的な97年世代アーティストの中で、
あまり目立たない存在だったくるりはしかし、
解散し、伸び悩む他バンドを尻目に、成長・発展を続けて今日に至る。

終刊号の表紙になってしかるべき、と思う。


例えば、他のバンドやミュージシャンを呼ぶ時に「アーティスト」という名称が相応しいなら、
くるりはより「デザイナー」という呼び方が合う気がする。

「売れる事が一番の目的ではないが、売れるに越した事はない」
という様な発言や、
純度を薄めることなく、多くの他者と繋がり、
音楽を通して、社会に価値や文化を築こうとしているように見える、
その姿勢。

メンバー編成を変えながらも、様々なジャンルの音楽を雑食的に取り入れ続けるその姿勢に、
サバイバビリティと学び続ける技術を垣間見る。

この、サバイバビリティと学び続ける技術こそが、
サスティナビリティへと昇華しているのだろうな、と思う。


3人バンドから、4人バンドへ、そして長きに渡る2人体制を終え、
今後5人組バンドとして活動をするくるり。

2人体制の忘れ形見としてリリースされたのが、
2枚目のベストアルバム「TOWER OF MUSIC LOVER 2」。


5曲の新曲入り。

感傷に浸るべく聴いたものの、特に新曲2曲「奇跡」と「旅の途中」のポジティブなメッセージに、
次からの5人バンド編成に胸が躍る。


そんなくるりを最終号の表紙に持ってきたスヌーザー。
号の内容も、えらくあっさりした終わり方なのも、非常に“らしい”が、
それもまた「旅の途中」だからなんだろう。

2011/06/25

AN ESSENTIAL OF THE WEEK: 001

AN ESSENTIAL OF THE WEEK: 001

毎週、己の本質に訴えかけてくる事象が必ず10も起きるわけでもなく。
2,3はでっち上げる事もあったりなかったり。

まして、大きな出来事が1つあれば、
それは一週間の中の強烈なインパクトとして、
他の事象がかすむのはイタシカタないのです。


音楽が好き。
というか、常に音が溢れているような状況に居心地の良さを感じる僕は、
寝る時にも必ずヘッドフォンを耳に当てていて、
寝違えようが何しようが、それは譲れぬ僕のやり方な訳です。


要するに、常にBGMが流れている状態がとてもイイ。
BGMの流れていないドライブなんて、教育理念のない学校と同じだ。


そんな心持で生活をしていると、
時にBGMがBGMとして機能しなくなる瞬間がやってくる。
BGMが主役になってしまう様な瞬間が。

12年前の夏、親友の住む学芸大学まで向かっていた僕は、当時のポンコツ愛車に乗って、
駒沢通りを法定速度の1.5倍くらいの速さで走りながら、七尾旅人の『雨に撃たえば…!disc2』を聴いていた。
その親友にどうしても早く伝えたいことがあって、
車に流れる七尾旅人の1stアルバムをぼんやり聴きながら、
親友の驚く顔を想像してはニヤニヤしていると、
アルバムの10曲目、「バニフォーおもちゃ工場の連中だよ! ~露コナツ最初の日~」が車内に流れ出して。
気が付いたら僕は車を止めていた。
不思議なタイトルのその曲を聴きながら、ロボ声とダミ声と、天使の様な歌声が交錯する美しい曲にヒタリ、
喜怒哀楽では表現できない、新しい感情を見つけたような気持ちになった。




その2ヵ月後、今となっては名前も顔も思い出せない女の子との、
クソほどに面白くないデートを終えて、僕は井の頭通りを、そのポンコツ愛車でもって疾走していた。
買ったばかりのWINOのニューシングルをCDプレーヤーに入れて、
ギターの音が鳴り始め、吉村潤がおもむろに歌い始めたら、
やっぱり僕は車を止めていた。
クソつまらなかったデートを思い出しながら、
僕はそのシングルの歌詞にある通り、
ひとり空のはてを見上げてた。






多感な時期を経て。
世界で一番嫌いだったアメリカという国に住み、
帰ってきた頃にはAldenの靴の収集する様になり、
そのアメリカ製の無骨な靴を買う為に、すっかり働くニッポンノサラリーマンとなって。
僕なりに。それなりに。

ポンコツ愛車はすっかり廃車に。
変わりにアメリカ製の真っ黒の自転車を乗り回し、
Iphoneでyoutubeを流しながら、通勤する毎日。

いつも通り、イヤフォンを耳にねじ込み、友人に薦められた番組を聴きながら、山手通りを走っていた。
旧山手に差し掛かった頃、気が付いたら、僕は自転車を止めていた。

イヤフォンから流れるその華麗な語り口と、簡素で、清潔で、
ハリウッド映画の起承転結とは真逆の、緩やかにクライマックスに到達する様なストーリーに、僕は心奪われ、
日本の美を改めて見たような気がして。





何よりも。
自分の中に、まだ無意識の日常作業を止めて、ふと立ち止まる力があった事が、
なんとも言えず誇らしかったのかもしれない。

2011/05/06

[RE-POST] DISK UNION




2009.03.02



ぶらりと下北を歩きました。

大体行く場所はいつも決まっていて

今日もルーティンに沿って、Disk Unionヘ足を運びました。

大好きな曽我部恵一BANDのニューシングルが出ていました。



51F01AZjaAL__SS500_.jpg 

早速一枚手にとって、レジに進むと

店員さんがとっても嬉しそうに、

「有難うございます」と。


いやー素敵な対応をしてくれる方だなー、なんて

思いながらボーっとしていると、

店員さんがCDジャケットの左から2番目を指さして

「これ、僕ですよ。」と言ったもんで

僕もすかさず

「あ、そうなんですか」と。





その後、店員さん改め曽我部恵一BANDのベース、大塚謙一郎さん

はCDを袋に入れてくれて、

それで僕はお金を渡してCDを受取り、

お店を後にしたわけです。



人間、唐突な出来事が起きると

何と対応力のない事か。

そして、後から浮かぶ後悔の念の凄まじさは何の如しか。


何か気の利いた一言は言えなかったものか、と。

「僕、彼の地アメリカでも、曽我部恵一BANDのCDだけは

アマゾンで購入していたんです、アメリカから。」

と距離感を強調してファン度をアピールするとか、

「ライブ、いつも見に行ってます!僕の生きがいです!!」

とyoutubeで見た体験を少し誇張してファン度をアピールするとか。


いや、ファン度をアピールする事が、けっして向こうにとって

うれしいとも限らない。

「“トーキョーストーリー”ライブ・バージョンのベースライン、

しびれますわ~!!」

と、音楽性でメッセージを伝えた方がよいのではないか。

いや、ただ偉そうに聞こえるのではないか。

急な関西弁もいかがなものか。



そんな風に思いを巡らせているうちに

すっかり日付は変わり、

昨日の出来事になってしまって。


でも、きっとまたルーティンに沿って、Disk Unionに足を運ぼう。

そして、もしあの人がまた店頭に立っていたら、

CDの一枚を持って、レジに進んで、こう言おう。

「シングル、とてもよかったです」と。

2011/04/30

[Re-Post]パーソンズ回帰003:パーソンズと音楽

2008.08.18.

僕は当時パーソンズのDesign & Technologyという学部に在籍しておりまして。
名前のとおり、何をやっているのかよく分からない学部なのですが、
実際生徒達も皆やっている事がばらばら。
僕のように卒業制作に映像を作る者もいれば、
ウェブサイトを作る人、クレイアニメーションを作る人、
中にはロボット作る人もいました。

ただ、そんな中でも音楽をやっている人は多かった。
一つ上の学年には、ニューヨークを代表する奇妙奇天烈バンド、
“clap your hands say yeah”のメンバーもおりました。
http://www.clapyourhandssayyeah.com/


同級生にレオというプエルトリコからの留学生がいたのですが、
彼の作る音楽はとてもカッコよかった。
彼はel medioと言うバンドをやっていて、
学業の暇を見つけてはライブをやっていました。
一度ウィリアムズバーグの片隅でのライブを観に行った時、
冒頭にやった曲のリフがくるりの“ロックンロール”と言う曲によく似ていて、
何だかとてもテンションが上がったのを覚えてます。
プエルトリコでも、日本でも、よい音楽を鳴らす者はいるのだな、と。
そしてとてもよく似たリフでもって、僕を高揚させるのだな、と。

ある日の授業前、僕がzazen boysの“crazy days, crazy feeling”という曲を何となくかけていたら、
クラスメート数名が、「カッコいいなー」と呟いたのを僕は聞き逃さなかった。

ニューヨークという街は、色々な国の音楽が流れ、そして溶け込む場所です。

当時の僕はiPodにお気に入りのプレイリストを作り、
※プレイリストのタイトルは“愛しさと切なさと心細さとイヤホンから大音量で流し、よく街を練り歩いていました。

プレイリストに入っていたのは

・「ブルーの構造のブルース」 小沢健二
・「something big」 バート・バカラック
・「perfidia」 サビア・クガート
・「平和に生きる権利」 Soul Flower Union
・「カム・シャイニング」 佐野元春
・「thieves in the night」Black Star
・「bluebeat & ska」 Matumbi
・「ヒタリーを聴きながら」 七尾旅人
・「o leaozinho」 caetano valoso
・「ここにいる」 中村一義
・「遥かなる」 The Groovers
・「ある光」 小沢健二
・「how to go」 くるり

このかなり節操のない、折衷主義的なプレイリストでも、
ニューヨークの街は受け入れてくれます。
街を自分色に染めて歩く事が出来ます。

パーソンズへの通学途中、
僕はこんな風に音楽を聴いて、
まるでニューヨークは自分のものであるような錯覚を積極的に起こし、
ビルと排気と異臭に包まれた美しい街並みに酔いしれ、
自らを奮い立たせ。
日々を過ごしていた。

そんな気がします。

2011/04/27

[Re-Post]パーソンズ回帰002:パーソンズと校舎

2008.08.12.


パーソンズ回帰 その2:パーソンズと校舎


先週、パーソンズの卒業生として、パーソンズ入学希望者の皆さんと座談会をさせて頂いてから
何だかふとした時にパーソンズの事を想い出す今日この頃です。

死なず死なずのうちに年を取った僕は
座談会に来ていた、これから留学を志すキラキラと目の輝く若者達を見て
数年前、留学した頃の自分を思い出して。(当時から既に目は死んでいたものの。)

細かな話はまたいつの日かの機会に取って置き、
パーソンズに合格した僕は、渡米し、ニューヨークに住まい、A列車に乗り、
学校での初めての授業に向かっていた。(唐突に)

緑あふれる校舎、そこに続く銀杏並木。
立ち止まって、並木道に並んだベンチの一つに腰を下ろして息を吸い込むと、木々の香りが体に染み込んで・・・。
そんなキャンパスライフを想像していた僕が目の当たりにしたのは


はい。
緑色すら見当たらず、かつ非常に人工的です。
ニューヨークはマンハッタンのビル群の中にあるパーソンズにキャンパスなどなく、校舎が色々なビルに点在しています。
木々に囲まれたベンチの代わりには、排気ガスをたらふく吸い込む事の出来る色のはげたベンチがポツリと置かれております。


今考えると、この校舎はパーソンズの教育理念をとてもよく象徴しているように思えるのです。

通常の大学は、都心から外れた所にあって(いや都心のど真ん中にあったとしても)キャンパスがあって、
高い塀なんかに囲われていて。
社会と隔離、断絶された場所として存在しているわけです。

パーソンズはむしろ社会と融合し、溶け込んだような校舎。
あるパーソンズのオフィスは普通に企業で埋め尽くされたビルの6階にあったりします。
これは、常に社会を意識し、実践的な教育を施してきたパーソンズという学校の校舎形態として、
非常に理にかなっている。


今になって思うと、
パーソンズの校舎に入っただけで、
半洗脳的に社会との意識付けをさせられる訳で、
何ともスゴい学校だなと感心させられたりします。

そんな学校で僕のキャンパスライフならぬビルディングライフが始まったわけです。


2011/04/19

[Re-Post]パーソンズ回帰001:パーソンズと卒業生

2008.08.08.
[memories of Parsons The New School for Design: alumni]
学校の話をする時に。
必ず出るのが卒業生の話である。

「誰が出ているんですか?」と。

まぁこれは避けて通れない話で。
避ける必要も無いのですが。

そんな訳で調べてみました、パーソンズの卒業生。

知れたところでトム・フォード、アナ・スイ、ダナ・キャラン、マーク・・・。

この間友人夫婦の結婚式があり、僕はお二人の紹介ビデオを作り、
その映像が披露宴で上映されたのですが、
映像を流す前に司会者の方が「映像を作ってくれたご友人です」と紹介してくれた上に、
「彼はニューヨークのパーソンズに留学されていて、
なんと同校の卒業生であるマーク・ジェイコブスともご親交があるそうで?
」というムチャ振りをしてきたので、
仕方なく「ええ。マークとはルームメイトだったんですが、
いや~、彼の足はホントに臭かったですよ。」と返したところ、披露宴出席者見事にドン引きでした。

まぁ何が言いたいかと言うと、
パーソンズの著名な卒業生というと見事にファッション関係の方ばかりです。
ファッション学部だけが優秀なのか、という話にもなってしまいそうですが。
ただこれは、世間的に名の知れたファッション・デザイナーとグラフィック・デザイナーの
総数自体に差があるわけだから、一概にそうとも言えないわけで。

それ以外に調べた所では、新進気鋭のデザイナー、アレキサンダー・ワン、
映画「冷静と情熱の間」にも出ていた女優ケリー・チャン、ヒルトン姉妹の目立たない方(中退)など、
なかなかバラエティに富んでいます。

さらに、これをパーソンズの母体「ニュー・スクール※」にまで拡げるとスゴイです。
※パーソンズはニュースクールという、8つの私立大学から構成される総合大学の中の1校。2005年までニュースクールの一部だった「アクターズ・スタジオ」からは
ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジェームス・ディーン、クリストファー・ウォーケンなど恐ろしい面子。パーソンズと関係ない、と思うなかれ。
映像を学んでいた僕は、課題を製作する際、同じ系列校であるこのアクターズ・スタジオの生徒に
出演募集してもらった事が何度かあります。系列校の生徒同志でのコラボレーションも中々盛んなのです。


数年後には、僕の映像に出演してくれた、あの異常に太った男子が
どこぞのレッド・カーペットを歩いているかもしれないのです。

その他、「Mannes College The New School for Music」という音楽学校からは、
ビル・エヴァンス、そして僕が愛して止まない、バート・バカラック。
若かりしころのバート。

 
僕の人格形成にかなりの影響を及ぼしたであろう彼も今年で80歳。何とも感慨深いです。


そしてそして。「ニュー・スクール」はもともとヨーロッパ移民の為の社会学を学ぶ為の学校として始まったのですが、
約70年前にそこで教鞭を振るっていたのがかのクロード・レヴィ=ストロースです。
今に比べれば若かりしころのクロード

僕の人格形成にかなりの影響を及ぼしたであろう彼も今年で100歳。
いやはや感慨深いです。

※2009年10月30日、101回目の誕生日を目前に他界されました。
 彼と同じ地球上にいれた事が嬉しい。ご冥福をお祈りします。

パーソンズの卒業生を調べていたら、ヒルトン(妹)を通り過ぎ、ニュースクールの卒業生に及び、レヴィ=ストロースに辿り着き、「悲しき熱帯」の218ページを目を開いた。

そんな一日。

2011/03/23

[RE-POST] 昼過ぎに起きたら

-2004.04.11-


あの子から、

ご飯食べ行こ。そんな電話がかかってきた。

胸の昂ぶり。ブリブリ。

いてもたってもいられずに、家を飛び出す。

待ち合わせ場所に4時間前に到着する。


時間をつぶそうと街をふらふら歩いていると

少なく見積もっても100は通った事のある並木道に

初めて目にする時計屋さんに見つけて。

まだたっぷり、3時間50分の暇を持て余す僕に

入店する以外の選択肢がありましょうか。


中は伽藍としていて

店員さんが暇そうにお喋りをしていた。

所狭しと4人の店員。

その内3人は揃いも揃った感じのギャル達で

あとの1人はどの角度から見てもおじさんなのだけど 

ギャル達と同じ身振り手振りではしゃいでいる。

店に入っても誰も接客に来ないのが逆に救いで 

時計を物色する。

かわいいな、と思う腕時計を見つけた。女性物だった。

でもかわいい。似合うだろうか?

仕草の可憐なおっさんを呼ぶ。

どうですかね、と聞いてみる。

当たり前のように褒められる。

女性用なんですけど。

当たり前のように問題がない旨伝えられる。

聞く相手を間違えた、と思いつつ

周りの友人になんて言われるだろう、と思った。

女々しい、なんて言われるんじゃないか。


1時間考える。


買う事にした。

おっさんが、必要以上に嬉しそうに見えた。


店を出て、100は通った事のある並木道。

僕にも行きつけの店ぐらいある。

その喫茶店に入る。

席に座り、いつものアイスティーを頼んで

腕時計を早速つけてみる。

時間を直す。

直して気づく。まだ2時間ある。

はて、どうしたものか。

でも嫌いじゃないな、こういう時間。

そんな風に思う。

今夜の食事のシミュレーションをしてみる。

あれこれ余計な事を考えてしまって

しなきゃよかったと思った。


真新しい時計に新たな一瞥をなげる

シミュレーションをほぼ2時間していた事に気づく。

あわてて待ち合わせ場所に向かう。



そこに向かう途中、電話が鳴った。

何処にいるの、と聞く彼女と

何処にいるの、と聞き返す僕は、

同じ並木道を向かい合って歩いている、という事に気づく。

お互いそのまま歩けば、28秒後には会う。

まだ彼女は見えない。

並木道は、ボロロ族の男が引いた弓の様に、美しい曲線を描いている。

心臓の鼓動が高速ブレイクビーツチューンを奏でる。

一瞬、逆を向いて逃げ出そうか、と考える。

その時、緩い曲線の向こうから。 彼女の姿が見えた。

そこからしばらく記憶は途切れる。




レストランについていた二人は

気の利かない店員に、彼女がかすむくらい距離のあるテーブルに案内される。

それに救われた気もする。 


たわいもない、でもこっちにとっては一語一語に

否が応でもビブラートのかかる会話。

途方もなく長く感じる沈黙。万里の先がかすんで見えない。

とりあえず注文しよっか・・・。 逃げの一手で。


彼女の相変わらずの注文の量の多さに驚き、ほころぶ。

たくさん食う子はかわいいな。細いのにな。

よく食うデブじゃ、

愛国心を謳う者がそこはかとなく胡散臭いぐらい当たり前でつまらん。

注文が一通りすんで、しばしの静寂の後、

彼女が驚いた表情で僕に

その華奢な手首に巻かれた時計を、何も言わずに見せてきた。

彼女のそれは

僕のこの、今日買った黒い時計の、色違い。

4時間前に家を出るのもいいもんだ。 おそろいだ。

彼女は僕に時計を見せて、といい

僕は、僕の黒を手渡し、彼女の青を手に取る。

彼女は僕の黒を楽しげにつける。

つけ終わった彼女は時計をつけた左腕をさっと机の下に隠し

急にすっとぼけた顔をして、

時計とは何の関係もない、オスマントルコ帝国の話を始めた。


「おいっ」

と。

僕は気がついたら。

突っ込んでいた。

あのボケを

ながせばよかったのに。
 
そのまま、ながせたらよかったのに。



妄想癖の末期症状

2011/01/09

[RE-POST]A BOOK OF THE WEEK

2005/01/10

今週の一冊

僕の敬愛するAdam Jones氏の著書より

『グローバリゼーションの名の下に、
コミュニケーションは加速的に拡散し、個人間の精神的な距離は縮まり、
世界を文字通りワールドワイドなものにしている様に見える。
だが、全ての事象が表裏一体であるならば、
ある社会学者が唱えるように、足かせを外された者はまた、心に鎖を繋がれるのであるとすれば、
グローバリゼーションの発展は同時に、社会を急速的に収縮し、人々の肉体的な距離はむしろ遠ざかり、世界をひどく退屈なものにしているという事でもある。

例えば、現在社会の1つの特徴でもある意識中心主義は至る所で見ることが出来る。
宗教の原理主義然り、一連の嫌煙運動然りである。
人体に害を及ぼすと考えられる数限りない大気中の汚染物質についての研究は疎かにされ、
信憑性が決して高いとはいえないタバコの害だけが大々的に取り上げられ、
(事実、20年前に喫煙者の肺がんによる死亡率は非喫煙者の約40倍であると発表したアメリカのガン研究機関は昨年それを訂正した)
人々はそれを信じ込まされていく。

ここ数年高まる先進国のテロリズムへの脅威も意識中心主義の1例と言えるかもしれない。
2001年9月11日以降、世界は混乱の一途を辿っている様に語られる事があるが、
それ以前からも世界は混乱し、テロ行為は歴史上数多く行われているのである。
ニューヨークでの9・11やイラクでの一連の自爆テロを知るものはいても、
トルコでのグルド人大虐殺や、アメリカ軍によるニカラグアでの殺戮を知るものは少ない。
規模はどちらも9・11を遥かに上回るものであり、
そしてそれはどちらも先進国によって主導されたおぞましいテロ行為であったにも関わらずだ。

私のよき友人であり、偉大な活動家である、エヴァゴラス・チャコスはこう言っている。
「9・11が歴史的に大きな意義と重要性を持つのは、その規模や残虐性などではない。
誰が被害者になったか。その1点においてである。」


-中略-

この様に、社会は拡散し、より多義に、複雑さを増しているように見えるが、
その反面、人々は分かりやすいものを求め、支持し、集束してゆくのである。

私は仕事を離れれば、こよなく音楽を愛する人間であるが、
これらの兆候は無論、音楽の世界にも当てはめる事が出来る。
与えられた労働時間、入り組んだ人間関係、複雑さを極める日々のしがらみからの逃避として、
人は誰しもが持ちうる様な表層的な感情について唄われる歌、
即ち、感情の最大公約数を唄った歌を好んで聴く傾向がある。
時間をとらない、短く、キャッチーなラブソングを。

社会からの物理的な、もしくは精神的な逃避をする事、距離をはかる事を、
私は否定することが出来ない。
ただ、私個人が好むのは、もっと普遍的な、人間そのものを体現する音楽だ。
シェーンベルグの奏でる音楽の様な。
彼の、けっして短くなく、キャッチーとはお世辞にも言えない楽曲の中で、
音と音はぶつかり合い、不協和音を奏でる。
だがその耳になじまぬ、違和感を与えるような旋律の先に、
息を呑むような、全てが重なり合う瞬間がやってくる。

そしてそれはまた離れ離れになってゆく。

私は音楽に関しては素人同然であるが、
シェーンベルグやジョアン・ジルベルトの様な
喜怒哀楽では表現出来ない感情を揺さぶり、
表現してみせる者が、真の音楽家であると強く信じる。

社会は複雑怪奇であり、人は複雑怪奇だ。
社会は醜く残酷で、同様に人も醜く残酷だ。
だが、意識中心主義的な、これらの事実からの逃避でなく、
世界の広さを、人々の多様さを、個人の思想を、
受け入れ、見つめる事の大切さと、
「人は醜く残酷だが、それゆえに美しい。」という事を、
彼らの音楽は私に教えてくれるのである。』


アダム・ジョーンズ「現代における社会と文化の相互関係」より抜粋

2011/01/03

2011

人影疎らな渋谷の夜。
寒さに耐えられずうろつく浮浪者。
ホテル街の片隅。青い看板。
込み上げる熱気。地下2階の喧噪。
ステージに前のめりになる観客。

バリトンの様な声で、響き渡る様な声で、
でも静かに、諭す様に観客に語りかけるMC。

「明けたぞ。
始まったぞ。
待ったなしだぞ。
109めの鐘を鳴らすのはオマエだ。
迷う事をやめるな。
彷徨う事をあきらめるな。
失ったものを忘れるな。
何かを得る為に、何かを失う事を恐れるな。

かじかんだ手に、生暖かい息を吐く暇があるなら、敵を殴って暖めろ。
しびれた足先を暖めたいなら、ただ進め。

20年後をぼんやりと、
5年後をしっかりと見据えろ。
sustainabilityに唾を吐け。
survivabilityを持って生き抜け。



今日のこの日を、この瞬間を、この一語一音を繋ぎ、唄おう。」

静まり返る観客。
地を這う様なドラムとベース。

熱狂。絶叫。

目を閉じて、
再び開けると、
もうフロアは伽藍としていて、
階段を上ると空は明るい。

定まらない足元で、
行く宛てもなく歩き始める。


そんな夢を見た。

2010/11/14

[RE-POST]八王子町娘

世の中でRe-TWEETが許されるならば、
過去のブログ記事の再投稿も許されよう。


ニューヨークに住んでいた頃、
とあるレコード会社の運営する音楽サイトにて、
NYの音楽事情に関するブログを書いていた。



書き綴った記事もサイトの閉鎖と共に消えてなくなった訳で。


折角なので、当時の錯乱具合を再確認してみよう、
という事で、不定期に[RE-POST]してみます。




2005 11/13
「八王子町娘」


今週末はユーミン祭り。
ユーミン尽くしのユーミン三昧。
「松任谷」は基本的に後夜祭という事にして、
「荒井」に焦点を当てる、
一大ユーミンスペクタクルだ。


ユーミンを甘く見ちゃいけない。
ド派手なコンサートをやるオバちゃんだとか、
春よ、来い来い言っている
冬真っ直中な人だなんて思っていたら
イタい目にあう。




2000年、20世紀の最後の年に
なかなか上がってこないテンションを引きずって、
僕は家に籠ってみてはひたすら数多くのレコードに耳を傾ける事に専念していた。
当時、バッファロー・スプリングフィールドやビーチボーイズに多大な影響を受けていた僕は、
そのうちはっぴいえんどを熱心に聴く様になって、
そこから派生して細野晴臣や大滝詠一に手を染める様になっていった。


特に細野晴臣の多才さ、多彩さ、多芸さの虜になった僕は
彼のレコードを片っ端から集めて、
1970年代のミュージシャン達の系譜を脳内絵図に描いていた。
細野晴臣や大滝詠一の周辺には、
山下達郎や矢野顕子、坂本龍一、大貫妙子といった人達がいて、
はっぴいえんどやティン・パン・アレーという、
当時全盛のえせフォークとは一線を画す、
日本のロックンロールをならしていた磁場に引き寄せられていた。
細野晴臣周辺の偉大な坊ちゃんお嬢ちゃん達の中に、
八王子からやって来たのが荒井由美嬢。


僕にとって、「荒井由美」と言えば、
それはすなわちセカンドアルバム「ミスリム」を意味する。
世代的に「松任谷由実」=ド派手なコンサートオバちゃん、
もしくは呉田軽穂というペンネームで
数々のヒット曲を当時のアイドルに書いていた作曲家、
というイメージしかなかった僕にとって
このアルバムは衝撃的だった。


年をとってからのユーミンの声を聴くと、
小学生の時にカラスに襲われ、
おぞましい鳴き声で威嚇された事を思い出しては
恐怖で震えが止まらなくなるのだけれど、
この「ミスリム」の時分の彼女の声は
まだ瑞々しさに溢れている。


音。
重く引きずる事の無い、
軽やかなサウンドスケープの先に広がる景色は、
もう既にアメリカ西海岸のそれではなく、
日本とアメリカ双方をしっかりと咀嚼した
ある意味非常に未来的な光景であって、
それは細野晴臣や松任谷正隆、シュガーベイブ、鈴木茂、矢野顕子ら
才能と力量のあるバックの支えによって描かれている。


曲。
メチャクチャいい。
この時のユーミン、実に二十歳。
歌詞はシンプルで多くを語らないものの、
一語一語に宿る言霊たるや、
筆舌に尽くしがたい。


特にアルバムの一曲「私のフランソワーズ」。
“レコードでしか聴いた事のない”
“写真でしか見た事のない”
フランソワーズを、
“私の”と言い切る。


ブラウン管の向こう側に映る、
ビデオの中でしか会う事の出来ないAV女優を
自分のものだと言い切るようなそのさまは、
もう既に妄想の神の域に達している。




2000年に聴いたこの「ミスリム」の衝撃は
宇多田ヒカルの「FIRST LOVE」の衝撃を凌駕して
1970年代が生み出したとてつもない才能と
その才能が他の才能と出会い、集い、歌い、
それら全ての連鎖が生み出した音と歴史が
今の時代にも色褪せないという奇跡とその軌跡に思いを馳せては
家に籠ったものである。




 

何かに追われると逃げたくなるのが人間の心理で、
この頃学校に通っていた僕は、
膨大な量の宿題から逃げてはこんな事を書いていた。


それにしても、ニューヨーク全く関係ないな。

2010/09/28

FALL IN FALL

最近街を歩いていると、何だかノスタルジックな気分になる。
いや、ちょっと違うな。

息を吸うだけで感情が溢れるような。
109つめの煩悩を見つけたような。
そんな気分だ。
いや、ちょっと違うな。

ふと脳裏に浮かんだニューパンプシャーの風景。
落ち葉に溢れた道なき道を。
歩いている。
タバコを吸いながら。

これはあれだ。
初秋のにおいだ。
僕は嗅覚をたよりに記憶を紡いでいる。

秋のそれは、どの季節のそれよりも深く、おぼろげに記憶に残る。

ブルックリンの河っぺりだったり。
ヘニカーのクソ汚いアパートの中、友人が僕のソファで、
ポテトチップスでベタベタになった手を拭いている瞬間だったり。
雨の山手通りだったり。

この季節になって、ニューヨークやニューパンプシャーの
思い出を嗅覚が呼び起こす度に、
あのにおいを嗅ぐ為にアメリカに行ったのだ、と。
それだけでもよかったのだ、と。

そんな風に思う。
そんでもってもう少ししたらニューヨークに発ちます。

I start this blog today,
and I leave tokyo to visit NYC in a couple of hours.

a fragment of my memory